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革共同革マル派に封鎖された北大図書館 玄関ロビーは机や椅子が山積みでした。 2ヶ月後の11月8日,機動隊導入,封鎖解除
撮影日 1969年9月8日 撮影者 石川栄一
大学紛争下の北大構内風景
『写真集 北海道大学1969』
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撮影 石川栄一
撮影日 1969年9月8日
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■ 北大紛争真っ只中の北大構内です。 ■ 写真をクリックしますと拡大します。
1.クラーク会館方面(中央道路、古河記念講堂の横から南方面を撮影)左側の人集りは、クラーク像の観光客です。この辺りでは連日のように、過激派の学生達がアジ演説をしておりました。
2.医学部付近(中央道路、工学部前から撮影) 
左側が教養部方面(北)、右側がクラーク会館方面(南)です。
3.応用電気研究所(工学部の門付近から撮影)
まだ、銀杏並木のイチョウの木は小さいです。
4.北大工学部正面(中央道路から撮影) 
過激派の投石除けの金網で覆われた珍しい工学部です。金網防衛作戦は、当時の大野工学部長(大野池で有名)の発案です。しかしながら、物理的には何とか守れましたが、学部長の主義主張は全く守れなかったようです。当時、嘘か誠か札幌市内の金物屋から金網が品切れになったそうです。
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5.北大理学部
これも投石除けの金網で覆われた珍しい理学部(現
・北大総合博物館)です。 大野工学部長による工学部の金網防衛作戦を理学部も真似ました。連日のように、過激派学生を中心に、当時の堀内学長に対する抗議行動が行われました。
6.工学部前庭(中央道路から撮影) 
北大紛争当時、連日、深夜から未明にかけて押し寄せる過激派学生を捕まえるために、教職員と学生が庭木の陰に大勢潜んでおりました。過激派学生は「暁に駆けろ」等と勇ましく叫んでおりましたが、ゲバ棒と火炎瓶を捨てて逃げるのがやっとだったようです。
7.北大工学部正面玄関へ 
路上駐車が絶えないため、後年、道幅が半分近くに狭まり、歩道が二倍以上に拡張されました。
8.工学部前の中央道路(北方面)
(教養部方面。北大工学部の門付近から撮影) 
紛争当時、この道路は過激派の学生達がヘルメットとゲバ棒などで完全武装して駆け抜けたため「ゲバルト街道」とも呼ばれておりました。
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9.北大工学部電気工学科研究棟
(工学部正面の噴水付近から撮影)数年後、この棟は取り壊され、教官の殆どは本館に移りました。
左端に増築中の電気棟(6階)がかすかに見えます。
10.正門付近(北大事務局付近から撮影)
当時、北大事務局は過激派学生に占拠されていましたので、どこから石が飛んできても不思議ではない状況でした。
11.封鎖された教養部
(中央道路、結核研究所付近から撮影 )
入学式の妨害から始まった北大紛争で、最初に封鎖されたのは、ここ教養部でした。
12.封鎖された教養部
(中央道路、結核研究所付近から撮影)
1969年11月8日の機動隊による封鎖解除の後、幾度も封鎖されました。
13.全共闘系に封鎖された北大本部事務局
(北大南門付近から撮影 )正面玄関はコンクリートで固められ、出入り不能でした。
 14.革マル派に封鎖された北大図書館
(中央ローン付近から撮影)玄関ロビーは、閲覧室の机や椅子が山積みでした。
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15.全共闘系に封鎖された法文経教育各学部
(中央道路から撮影 ) 1969年10月30日、教職員学生によって封鎖解除されました。
16.全共闘系に封鎖された法文経教育各学部
(中央ローン付近から撮影)多くの教室は、廃墟のように乱雑でゴミの山でした。また、手作りの弓矢が多数、散乱しておりました。
17.薬学部(北13条門付近から撮影) 
当時の薬学部長が先頭に立って、封鎖阻止のための指揮をしておりました。
こちらに掲載した写真は北海道大学、大学
文書館に寄贈(2007年、寄贈者名 石川栄一)しております。
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Last Updated
2025/11/16
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